2016年1月29日金曜日

ずっと、1954年版讃美歌で礼拝しています。
いっしょにおもいきり、古い方の(?)讃美歌で、讃美しませんか。

礼拝は毎週午後2時からです。

たとえば、午前中は登米(とよま)の明治村を散策。

武家屋敷「春蘭亭」でお抹茶。
はたまた、藁ぶき屋根の団子屋さんで一休み。

昔ながらの尋常小学校(重要文化財)の2階バルコニーからのながめに、しばしタイムスリップ。

さて、近くの食堂で、はっと汁か油麩丼で腹ごしらえをしたら、いざ登米教会へ。

小さい教会ですが、讃美歌(1954年版)の声はおなかの底から。いつでもどうぞ!

車は、観光駐車場に停められます。(園庭は天候によりぬかるみます。)

上記の場所は全て徒歩圏内。

(三陸自動車道、登米インターから降りて東へ東へ。)
0220-52-2302



2016年1月10日日曜日

本日(降誕節第三主日礼拝)の週報より


【今日の聖句】 

「見よ、世の罪を取り除く神の子羊

(ヨハネによる福音書1章29節)

「見よ、神の子羊を」 友川 栄

ヨハネ福音書はバプテスマのヨハネを主イエスを証しする人物として捉えている

否、全てのキリスト者の模範として記しているのではないか。

私たちは神の御子イエス・キリストを証ししているだろうか。

洗礼を受けに来たイエスを見てバプテスマのヨハネは
「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」(1:29)と語っている。

かつてイスラエルの民がエジプトから脱出する際に、子羊を屠りその血を家の入口の二つ
の柱やかもいに塗り神の審判を逃れることが出来た。神は血を見て彼らの所を過ぎ越し
た。

ヨハネ福音書はイエス・キリストを過ぎ越しの祭りの前日に屠られる子羊と受け止めたの
だ。

罪とは一体何だろうか。犯罪、泥棒、殺人なども含むが、聖書が説く罪は人間の本質まで
見抜く。神を畏れず神を操ろうとする傲慢だ。神への忘恩も忘れてはいけない。


また神の独り子イエス・キリストは十字架刑で自らの命を捨てることを通して「神の愛」
を示してくださった。

弟子たちはその愛に応えただろうか。十字架を前にして皆逃げたのである。

しかし、復活されたイエス・キリストは恐れをなしていた弟子たちに顕れ
「神の福音」を伝える器として用いた。大失態をした人間をイエスは敢えて選ぶ。

「ヨハネはまたあかしをして言った・・・『ある人の上に、御霊が下ってとどまるのを見たら、その人こそは、御霊によってバプテスマを授けるかたである』わたしはそれを見たので、この人こそ神の子であると、あかしをしたのである」(1:3234)と記す。

「わたしはそれを見た」の「見た」と「あかしをしたのである」は完了形。
見た、証をしを今も続けていると言う意味が込められている。
今も生きて働いていたもう神を信じてイエス・キリストを証ししていきたい。