2012年8月21日火曜日

教会員の声・・・「うたがいのつかいみち」

『現在・過去・未来』

ムラサキシキブの花、初めて見ました
小学生向けの月刊誌 
たくさんのふしぎ199311月号
「うたがいのつかいみち」清水哲郎文/飯野和好絵
(福音館書店)に過去・現在・未来のことが書いてありました。

ふしぎなお話。
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「ふしぎ」と声に出して言う時、「ふ」と言った後、「し」を言う時にはもう「ふ」は消えていて過去になり、「ぎ」というのはまだ出てきていない未来である。
でもほんとにそうかな。私たちは「ふしぎ」をひとつの言葉として聞いている。三つの音が鳴り響き消えていく間を現在としてつかんでいる。このように何かをするためには、現在はほんの一瞬ではなく、ある幅が必要なのだ。

ということは、人間は時に流されているだけではなく、ほんのちょっぴり「時の流れを越えたあり方」をしているということ。短い間ではあるが、過ぎ去った時間もこれから来る時間も一続きの幅のあるまとまりとしてつかんでいるのだから。ただ流されているわけではないのだ。

ところで、『永遠』とは『無限の時間』のことではなく『時の流れを無限にこえているあり方』のことだと思う。私たちはほんのちょっとした時間を現在としてつかめるだけだが、永遠にとっては世のはじまりから終わりまでが現在(今)なのだ。

私たちの一生は過ぎ行くものだけれど、過ぎ行く私たちから見るのではなく、永遠から見ればどんなに小さく短い命でも過ぎ行かず留まっているのではないか。「ふしぎ」と言う時の時間の幅を、私たちが時を越えて現在ととらえるように、過ぎ去りつつある私たちの人生も『永遠』の前では、まとまりをもち、流されずにすべて今のこととしてとどまっているのではないか。
・・・以上

これが、19年前に小学生向けに書かれた絵本です!
有限である人間が永遠を考えるというのは、一筋縄ではいきませんね。
でも、とてもおもしろい。

神様が私の一生を全てご存知なのは、永遠なる神様にとっては一生も一瞬と同じだからかしら?

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